読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

にこごりおきば

思考のスープを形にしたもの。

勝者が作る歴史

こんばんは。今夜も猫さんに尻尾でおちょくられています、あべアツです。

 

今日は兵長と台所の掃除をして、ドイツ人のように雨に打たれ、満喫に進撃してから、北九で50万人を救ってきました。右京さんに心臓を捧げよ。

 

リアルで重いネタが続き、そんなグロッキーから立ち直ったところで触れた作品がまた重い。そんな今日、考えたところを記しておく。

 

 

「歴史は勝者が作るもの」強い言葉であり、それは真理なのだろう。この場合の勝者は戦争の勝者であり、国の統治者である。敗者は多くの場合語る口を持たないか、聞く耳を持たれない。そして、勝者が作る歴史は勝者に都合のいいように改変される。うんこを漏らした話は、普通は残さない。チビで不細工でロバに乗っていても、白馬に乗った高身長イケメンになる。墓まで持っていきたい事の一つや二つ、誰にだってあるからね。書き換えたい記憶も。

 

歴史は勝者が編纂したもの。勝者によって取捨選択され、誇張され、改竄され、添削され、捏造された情報が、歴史として今に残っている。歴史はそういう属性のものだから、いい悪いではない。「そういうもの」として認識することが重要で。

 

「歴史の授業で習った事は正しい」なんて思ってはいけないということ。聖徳太子が良い例だ。存在した、として残されている情報を以前は皆、鵜呑みにしていたが、最近では時の権力者が民衆に権力の正当性や統治力を示すため、後から作られた「(当時の)伝説上の人物」と推測されている。

 

勝者が一つであれば、作られた歴史でも何も問題は無い。みんながそれを信じていれば、平和な世界だ。「将軍様すごーい!」・・・って言っとけばいい。それだけの話。

 

でも現実には統治者は国の数だけあって。勝ったと思いたい人、思わせたい人がいて、それぞれの国の政府は自分たちに都合のいい歴史を作る。

 

大日本帝国第二次世界大戦に負けた。ナチスドイツも負けた。でもイタリアは勝ったらしい。日独伊三国同盟悪の枢軸国なのに、どうして?彼らは戦争が終わる前に連合国側に寝返り、日本とドイツに宣戦布告していたから、勝者なんだそうな。少なくとも、イタリアの歴史ではそうなっていて、国民はそんな認識だという。どう思う?

 

 

竹島尖閣北方領土。各国の歴史認識のズレが生む軋轢。有史以来繰り返されてきた、人の愚かな営み。それは人間にエゴがある限りなくならないもの。統治機関が複数ある限りなくならないもの。双方が勝者になり、敗者にもなり、上手く信じさせていた国民に「嘘つき!」と呼ばれるしか、円満な解決方法は無くて。でもそうなればその指導者達は選挙で負け、次の指導者同士でまた争うのだろう。

 

こんな僕の嘆息が、「嘘つき!」の声を少しでも和らげる助けになれば、いいな。

 

 

それでは、また。

 

 

(余談だけど、自分で「大」を付けてしまう当時の日本人の感覚、どうなんだろう。「大」韓なんちゃらとか朝鮮「民主主義」なんちゃらとか、「グレート」ブリテンなんちゃらとかの事、言えない・・・)