にこごりおきば

思考のスープを形にしたもの。

水は低きに流れる。人の心もまた

こんばんは。勤めてた会社が潰れて2週間経ちましたが、まだのんびりしているあべアツです。憑き物が落ちてきたので、またぼちぼち書きますよ。

 

世の中の色んなものが、もう限界なんじゃないか」と、国民的怪物の某デラックスさんが嘆かれていた。僕も本当に、そう思う。

 

何かあると潰れるまで叩く世間、自殺するまで追いつめられる職場環境、子育てを妨害する地域社会、傷害も恐喝も無罪になる学校、世界に目を向ければアメリカやEUの深刻な分裂、約束が簡単に破られる国際関係、どれだけ後悔と反省をしても不死鳥の如く蘇る殺し合いの文化。逃げる人々に、拒絶して見殺しにする国々。

 

もう限界。本当に、もう。。。だが、何が限界?

 

「だましだましやること」が、限界なんだ。

共通の目標があって人の心が一つの方向を向いていた過去。

その頃に作られた仕組み、慣習、文化、制度、価値観。

でも目標が無くなって、その多くは現代では合理性の無いまま残されているものばかり。

変更しなくてもそれほど困らないから、しない。変えるのにはエネルギーが要るから。

人は楽な方に流れるから。

 

みんな楽をしてきた。今の制度を作った大変だった頃の人たちの努力の上にある平和に、のほほんとただ乗りしてきた。でも徐々に徐々に余裕が無くなって、かつての手法や思想では以前と同じ結果は出なくなって。でも変えずにだましだまし続けて、楽をして。

その結果が、今だ。

 

そう、限界なのは「現実と向き合わずに、楽な方に逃げる現代人類の生き方」だ。

 

この絶望から脱却するには、変えなければならない。仕組みを、慣習を、文化を、制度を、価値観を。

 

これを変えるには、時代を変えるのと同じエネルギーが必要だ。

それは戦後復興(70年前)のエネルギー。明治維新(150年前)のエネルギー。

戦乱を終結させた、徳川家康(400年前)のエネルギー。

 

溢れる問題のそれぞれの原因と向き合い、根源から変えていくエネルギー。

世の中の理不尽は全て、原因と正面から向き合い、修正しなければならないもの。怒りの炎は各地で噴出しているが、個々では弱く、長続きせずに消えてしまう。

だがトランプは煽り続け、結集させる事に成功した。彼はそのエネルギーで、新しい物を作るだろう。彼なりの答え、新時代の秩序を。

 

僕らの中に込み上げる激しい怒りのエネルギーは、正攻法で集めれば、世界を変えられる。違和感と理不尽に塗れた、自分を取り巻く世界も変えられる。それはテロでも一揆でもデモでも革命でもない。そんなものは必要ない。

 

平等に権利が与えられた民主主義な僕らの国では、僕らの怒りの炎には、使い道があるんだ。与えられた火矢を撃ち込め。燃やせ。祭りだ。

 

どうせ一人で燃やしていたって、虚しさだけ残し消える炎。自殺したって、それ単体では何も変わらない。一瞬だ。継続する生のエネルギーの方が、遥かに大きい。

願いの灯、怒りの炎、呪詛の業火、燻る炭火、幻想のマッチ、なんでもいい。

一人で抱えて消えるだけより、集めて示すんだ。「私も燃えているぞ」と。存在を。

様々な火を集めて、打ち上げよう。僕らの救難信号を。極彩色の花火を。

 

 

 

それでは、また。

 

 

(タイトルは、攻殻機動隊のセリフで心に残っていたものです)