にこごりおきば

思考のスープを形にしたもの。

自動運転タクシー始まるってよ

こんばんは。BIGを買おうか検討中のあべあつです。

 

今日は、今朝見た気になるニュースについて考えてみます。言語化したほうが考えはまとまりやすいのです。

 

AIによる自動運転タクシーと配車アプリuberの組み合わせで、タクシーの運転手が不要になる、というお話。

ニューヨークで実証実験が始まった、というニュースだったかな。

 

自動運転の技術開発は、もう完成しているみたいだね。

先日起きた自動運転自動車での死亡事故のせいで、怖いイメージを持っている人が多いかもしれない。でもあれは誤解。自動運転技術にはいくつか種類があるんだけど、運転者が勘違いをしただけ。

 

一番良いのは、完全に運転してくれるやつ。想像通りの自動運転。目的地を指定したら何しててもオッケー。昼寝しても漫画読んでもポケモンGOしても←

 

事故が起きたのは、運転をサポートしてくれる自動運転。道路の線をはみ出ないように、とか、車間距離によって自動で減速したり、とか、同じ速度で道なりに走り続けるようにしてくれる、とか。でも基本的に人が注意していることが前提。一番いいのより、センサーの数が少なくて安い。そんな装備で大丈夫か?

事故の内容としては、運転手が横も前も見ないで加速したところ、ちょうど前にトラックかなんかの大型車が車線変更してきて、ケツに突っ込んでぐしゃぁ。前との車間距離はセンサーもあって気にしてくれるけど、横にはセンサーが無いタイプの車だったとか。車くんにしても青天の霹靂。彼は悪くない!運転者がちゃんと勉強してなかったんだね。なむなむ~

 

「メーカーが、わざと誤認するような宣伝をしている」という話もあったけどそれはまぁ置いといて。ちゃんとした技術が乗ってる自動運転車なら、人がいなくても大丈夫なレベルになってるよ、ということが言いたかった。

 

さてさて、そんなタクシーがあったら便利そうだけど、

・目的地入力どうするの?カーナビに手入力?

・止めるときどうすんの?手を挙げてる人をセンサーで認識?

・会計はどうすんの?レジ?お金足りなかったら?

 

そんなこんなを一発で解決してしまうのが、配車用スマホアプリuber(なんて読むの?)今はまだ、登録している人が運転するタクシーを手配するくらいらしいけど、自動運転タクシーとの相性がヤバイ

・目的地を入れるとGPSで現在地も計測して、近くにいるタクシーが来てくれる。

・アプリを通してスマホで決済。お支払いもスムーズ。

 

うむ、素晴らしいね。これなら運転手さんが道を知らなくて時間がかかったり、無駄な料金がかかったりすることもない。都市部のタクシーが全てこれになったら、最高だ。

短距離しか乗らなくて気を遣う必要もないし、有名人の自宅もバレない。車に現金は無いから強盗も無い。人不足、過剰も関係ないから、需要に合わせて増減できる。

お年寄りも(手配方法を覚えられれば)外出は増えて、お金をよく使ってくれるだろう。

 

問題点としては、酔っぱらってふらふらな時にはきっと手配できない。おうち帰れない。ドライバーさんが大量失業。大量失業はまぁ、仕方ないか。AIの普及で大抵の仕事はなくなるって話だし。でも、また揉めて揉めて、選挙で組織票が欲しい政府は導入しないだろうなー。日本は昔ながらのやり方が大好きだから。最新技術と効率化よりも、みんなで貧しくなるのが大好きだから。いずれ全てが周回遅れになるのだろう。

 

水素ステーションなんてくそガラパゴスな金ばかりかかる馬鹿みたいなもん作るより、自動運転車用の自動給油ステーション作ったほうが、よっぽど未来への投資になると思うんだけどなー。世界に売れる技術が仕上がると思うんだけどなー。

 

利権の中心にいる数人のメンツや儲けの為に、日本全体にとって最善ではないと明らかに分かる手段が取られ続ける。マイナンバーカードもそう。メタンハイドレートの採掘もそう。保育士給与の妥協もそう。高齢者医療制度もそう。教育関連費用が割高なのもそう。東京オリンピックもそう。無駄無駄無駄無駄無駄無駄無無駄ァァ!

日本は衰退して当然。普通の人が絶望するのも当然。権力を属人化して固定する事と、意思決定がブラックボックスであること。問題はそこだから。

 

株主がぎゃーぎゃー言える環境は、ある意味健全だよな。儲け至上主義になるのは不健全だけど。国の機関なら、国民がギャーギャーいえる環境が健全、か。

ロシアや北朝鮮や、戦争中のドイツや日本だったら、僕みたいなのは殺されてしまう。今は割と、その部分は健全。ネットの世界は健全。テレビは不健全だけど。

 

白日の下に晒してくれ、不正を。不義を。官僚や天下り法人の杜撰な仕事を暴いてくれ。それがジャーナリストの本来の仕事のはずだ。文春。。。

 

 

おやおや?ここはどこ?

今日のドライバーさんは、道に詳しくない方だったようです。

 

それでは、また。

激論〈二日目のカレー〉

こんばんは。3が付く日は猫背になるあべあつです。

 

ブログを始めて三日目。子曰く、三日目にして坊主。

このままでは三日坊主にもなれない。二日坊っちゃんだ!継続は金!ここでやめたら吾輩はうんこくずである!気合だー!気合だー!めんどくさいけどなんか書くぞー!

 

 

二日目のカレーって、おいしいよね。こう、具に味がじんわりと染みて。人参も抵抗しなくなって、柔らかみが増して。ルーも全体に馴染んで、舌触りもちょうどよくて。肉も「ここに入るために、私は生まれてきたんですよ」なんて顔つきになって。あれこそが、カレーの真なる姿だろう。間違いない。国民食。万人の飯。

 

でもね、妹どんは、怒るの。げきおこ。

「なんで今日食べないの作るの!?一日置いたら菌がいっぱいなんだよ!もう!」

それに対して母者は

「大丈夫よ!なによもう、せっかく作ったのに!」

と平行線。(何年か前に、帰省した時のお話ね。)

 

味噌汁でも同じ喧嘩してた。僕は『菌はそれなりに繁殖するだろうけれど、お腹壊すレベルじゃないから大丈夫だよなぁ。なんで妹どんはげきおこ?』と考えた。

 

考えてみたら、そう、妹どんは高校の時に調理の学科で、調理師免許取ってるの。

だから、妹どんの主張の背景は

〈飲食店で客に出す料理人として、絶対に問題を起こさないことを是として行われた教育〉

食中毒については口を酸っぱくして言われた事だろう。それも、多少大げさに。

知識ベースの主張。お店ベースの基準。

 

対して母者の主張の背景は

〈食べ物を粗末にしてはいけないという思想〉

「まずくもならないし、お腹壊さないんだから食べられるでしょ!?」

ということ。若い頃にド貧乏だった母者。そういえば「お腹壊したら正露丸飲んどけばいい」ってよく言ってたっけ(笑)

経験ベースの主張。おうちベースの基準。

 

簡単に歩み寄れそうなこんな事でなぜここまでぶつかり続けるのか?それは互いに「相手は何もわかってない」と思い、同じ形式の主張を繰り返すから。そして、10:0の解決が正しいと信じて疑わないから。

 

妹は〈母には知識がないからあんな危ない事するんだ〉と思い知識を教えようとする。

母は〈あの子には経験がないからお腹壊すと思ってあんなことを言うんだ〉と思い経験上心配ない旨を教えようとする。

 

いつもの癖で主張の分析をして(楽しんで)いた僕は、二人にそれぞれの主張の背景・原因、そして一番重要なそれぞれの基準の違い、を教えてあげた。すると、二人とも、相手の背景どころか自分自身の主張の背景にも気付いていなかったようで。。。

二人は僕の説明に納得してくれたみたいで、「作った後は涼しい季節でも鍋ごと冷蔵庫に入れる」という妥協案に落ち着いていました。めでたしめでたし。

 

こんな親子喧嘩で、解決しない争いの根本的原因に気付くなんてな。

基準が違えば正解も違う。教えられた事が、「自分の主張・思想」として持っている物が、どんな基準に基づいているのかも、意識しないとね。

それと、やっぱり「相互理解」って大切。

 

ちなみに僕はカレーも味噌汁も出しっぱなしで、酸っぱくなったら捨てます。てへぺろ

 

それでは、また。

僕らの百年

こんにちは。するめが大好きあべあつです。

 

今朝、「人の寿命は115歳くらいが限界だ」という記事が出ていました。

以前どこかで「DNA情報の両端が次第に壊れて情報は短くなるから、コピーの回数には物理的に上限がある。結果、人の寿命は際限なく伸ばすことは出来ない。」という記事を読んだ記憶があります。

 

細胞分裂が出来なくなったら、肉体を作る基礎の更新・修繕が出来なくなったら、終わり。

いくら健康でも筋肉ムキムキでも、新しい細胞が生まれなくなったら、朽ちるのみ。

大企業の終焉みたいですね。

 

その「コピーの限界」が年齢として判明したということなのでしょう。

 

SF作家が夢想した不老不死の奥義

「自分のクローンを作り脳移植を繰り返せば永遠に若い体わっしょい!」

は、どうやら不可能のようです。脳細胞の115歳でthe endご臨終南無~

一つのロマンが終わりました。科学者のバカ。ぐすん

 

でも一回は意味あるかな?40歳でクローンを仕込んで、60歳の時に20歳の若い自分の体クローン太郎に脳移植をしたら、脳が死ぬ115歳時でも新しい体は75歳。

自然なお亡くなりにも見えるし、もうやってる富豪とマッドサイエンティストいたりしてね。

 

表の世界では「現在の技術でも理論上、生首の移植は可能」だとのことで、マッドな科学者が数年のうちに実現するらしい。お金と人を集めている段階のようだけど。

脳移植はまだ少し先だね。ヒトクローンは作れるけれど、禁止されているだけ。

 

話が逸れまくった。

 

最初に考えていたのは

「115歳が限界か。裏を返せば、115歳までは生きられるということ。1986年生まれの僕は、2100年の世界に到達できる!」

 

2100年の幕開け、〈2100眼鏡〉をかけて大はしゃぎしているおじいちゃんがいたら私です。ハイタッチしましょう。

 

バランスのいい食事、適度な運動・睡眠、新しい事への挑戦、感動、知識欲、

自ら営む生活、人との交流・対話・ふれあい、適度なお酒、歯磨き、スケベ心。

 

ボケずに長生きする為の条件はすでに出揃っている。

医療技術の革新で、ガンでさえも克服されようとしている時代。

誰もが100歳までは生きられる時代になったんだ。小泉新次郎議員達も、本気で練っていたじゃないか。みんなが100歳まで生きる時代の見取り図を。

 

僕らは昭和に生まれ、平成と次の時代を生き、愛子ちゃんの世で死ぬ。

 

それは事実。・・・何かが起きなければ、ね。

 

僕らが生きた百年は、どんな百年だったのか?

僕はあの世で自慢したい。歴史上の偉人たちに。

 

「僕らの百年は、人間がこんなに素晴らしい知見に辿り着いたんだぞ!積年の問題を解決するこんなロジックを編み出して、実践して、世界中の人が笑顔で幸せに暮らしたんだ!どや!」

 

今の世界は、それが実現できるだけの知恵も積み上げられているし、経験も十分蓄積されていると思うんだ。健康長寿に関するデータのように。

あとは、組み合わせと、認識をどう浸透させるかだけだと。

 

情報が散在していたかつてとは違う。今はネットの海に、ドロドロと濃厚な数多の情報が溶け込んでいる時代。

ここに強烈な光が射せば、人々の認知という視線が降り注げば、太古の地球で原生生物が誕生した時のような、劇的な変化が起こりうる。

 

多様な希望に進化しうる思考の起源を、僕らの時代で見つけたい。

僕らの百年が、人類の歴史の中で燦然と輝く太陽になるように。

 

それでは、また。

一年の計は元旦にあるのか?

明けましておめでとうございます。

 

初めまして。30歳、おじさん1年生のあべあつです。

 

猫の色葉さん(10歳女性)と福岡で同棲しております。お正月、暇ですにゃ。

 

 

「一年の計は元旦にあり」なんて言葉を信じている訳じゃありませんが、一つのきっかけとして、本日2017年1月1日よりブログを始めることにしました。

 

昨年も、一昨年も、元日に目標は立てたはずだけれど、年末には達成どころか内容さえ覚えていない有様。思うだけじゃダメだね。今年は行動をしよう。

 

そんな気分になったのは、auのCMのせい。(格安SIMユーザーです)

年末、笑ってはいけないの合間に年明けで流れた三太郎のCM。

 

「やってみよう!」

 

がテーマでした。

 

浦ちゃんが巨大凧に乗り空を飛び、鬼ちゃんがドラムを叩き、一寸が岩山を登り、三太郎で玉手箱開けまくってみんな爺ちゃんになるも笑いあい。

 

賑やかで明るい提案が、僕の中のめんどくさがりんりんを跳ね除けました。

林修にはそそのかされなかったのにね。鬼ちゃん可愛いから仕方ない。キラこそが神。

 

それと理由はもう一つ。

 

昨年末頃の茂木健一郎先生(脳科学者でアハ体験のもじゃもじゃおじさん)の連続ツイートで教えられた、「ヨナ・コンプレックス」という言葉。

簡単に言うと、

 

「それをしたら大きな変化が訪れる事を分かっているが、故に避けてしまう心理状態」

 

言語化するのが好きだからTwitter好きだけど、ミクシィで失敗したこともあって、ブログで長文を書くのは抵抗があってね。お酒を飲むと暴走してしまうから。。。

 

そ、でもね、コンプレックスとか言われたら、なんか悔しいじゃん?

類型化されて、「〈よくいるダセー奴〉目、〈いつかやる〉種」の生物として棚に仕舞われた気分じゃん?

 

ちょっと待ってくれよオーキド!俺は進化しないんじゃない!まだ見つかってない

「しんかのいし」が必要なだけなんだ!図鑑はまだ完成していないぜ!?

 

つって、さ。反抗したいじゃん?学会発表覆して、権威を失墜させたいじゃん?

 

 

そんな訳で、30にもなって青臭さ全開なブログを始める事と致しました。

 

「一年の計は元旦にあり」

 

その言葉の真偽・効能は、行動を起こすことにしたこのブログで明らかになるかもしれません。

 

それでは、また。